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ランドマインモニター2003 日本 (続) 北川訂正版, Landmine Monitor Report 2004

日本の章

2003年5月以降の主な進展:

  • 2003年の日本の地雷対策援助額は23億1,000万円(1,890万米ドル)であった。これは2002年の援助額の58%減だが、年額としては2002年に次いで大きな金額である。
  • 2003年、地雷生存者(サバイバー)支援(訳注:これまでの犠牲者支援のこと)に日本は援助を行なっていない。
  • 日本政府は2004年3月3日と4日に東京で地雷対策援助のための国際セミナーを開催した。
  • 2003年9月、日本は地雷除去、地雷回避、地雷対策技術に関する常設委員会(以下 地雷除去等常設委員会)の共同議長になった。日本は、条約第1条、2条、3条について共通的な理解を得るための努力に反対の姿勢を示した。

1999年以降の主な進展:

  • 日本は、地雷対策援助に5年間で100億円を拠出するとの約束を果たし1998年から2002年の間に104億8000万円(9,260万米ドル)を拠出している。
  • 2003年2月、日本は保有していた985,089個の対人地雷をすべて廃棄した。また、日本は第3条で保有が許されている訓練及び研究目的の地雷として15,000個を保有することを決定した。この数は各締約国が保有したこの目的の地雷数の中で最も多い国の一つである。1999年から2003年の終わりにかけて、日本は6,641個の地雷を訓練及び研究目的に使用している。
  • 日本は、1999年5月から2001年9月まで犠牲者支援、経済的・社会的復帰、地雷回避教育に関する常設委員会(以下 犠牲者支援等常設委員会)の共同報告者、続いて共同議長を務めた。さらに、2002年9月から2004年12月まで地雷除去等常設委員会の共同報告者、続いて共同議長も務めている。
  • 対人地雷全面禁止条約(以下 オタワ条約)1条、2条、3条の抽象的な表現に対して共通的の認識を得る努力が条約の一般運用状況常設委員会でなされたが、これに反対を表明した締約国の中でも日本の立場は突出していた。

地雷廃絶への取り組み

 日本は1997年12月3日にオタワ条約に署名し、1998年9月30日に批准した。1999年3月1日に条約は発効している。

1996年に日本は、国際的な対人地雷禁止運動への支持を表明したが、1997年になるとオタワ条約を制定するためのオタワ・プロセスに参加することに否定的な態度を示していた。オタワ条約の案文作成の最終的な交渉を行なうオスロ会議に日本が参加することを決めたのは会議が始まる9月1日の2~3日前、米国が参加を発表した直後であった。さらに、オスロ会議では、オタワ条約を骨抜きにするための米国による数々の提案に対し日本は支持を表明していた。 (訳者註:「世界の国々は、オスロで日本がとった態度を忘れることはないだろう。各国が感じとった日本に対する不信感は, いつかなんらかのかたちで日本に跳ね返ってくるのではないだろうか。そう思えてならない。」目加田説子著「地雷なき地球へ」P.221) 

日本の政策が前進したのは、9月のオスロ会議が終了した後、小渕恵三氏が外務大臣に就任してからである。小渕氏は関連省庁の地雷政策の見直しを始め、11月27日に日本はオタワ条約に署名すると発表し、その後、小渕氏は12月3日の署名式に参加した。

 小渕氏は1998年7月首相に就任後、国会が速やかに地雷禁止の国内法案を成立させ、日本のオタワ条約批准を承認するようプッシュした。国内法である「対人地雷の製造の禁止及び所持の規制等に関する法律」(平成十年法律第百十六号)は1998年9月30日に国会を通過し、1999年3月1日に発効したが、地雷廃絶日本キャンペーン(以下JCBL)はこの法律にJCBLが要望した「包括的禁止」の条文がなかったことに対し遺憾の意を表した[1]

日本は2003年12月8日の決議58/53を含む、国際連合総会のすべての地雷反対決議に賛成票を投じ、また、すべての年次締約国会議と常設委員会に積極的に出席している。2003年9月の第5回締約国会議において、日本はカンボジアと共に地雷除去等常設委員会の共同議長になった。また、2001年9月から2002年9月まで、犠牲者支援等常設委員会の共同議長を務めた。さらに、非公式の「普遍化コンタクトグループ」のメンバーとして積極的に行動し続けている。

2004年4月27日、日本は条約第7条に基づく2003年1月から12月までの透明性に関する報告書を提出した。1998年から2003年までの犠牲者支援と地雷回避教育の取り組みについて報告するにあたり、自主的報告の様式であるForm-Jを日本は使用している。今回の日本の報告は6回目の第7条報告となる[2]

 日本政府は地雷除去等常設委員会の共同議長として、2004年3月3日~4日、東京で地雷対策援助に関する国際セミナーを開催した。この国際セミナーには、最近の地雷対策活動を再検討し、地雷の被害を受けたコミュニティーに利益をもたらすためのより効率的な方法を開発するために、ドナー国・地雷埋設国・地雷関連の国際機関・地雷対策に関わるNGOの代表が参加した。JCBLは、これらの討議に日本のNGOの参加の機会が制限された、として遺憾の意を表明した。

ICBLの関心事項

日本は、オタワ条約第1条、2条、3条に対する共通的な理解を得るための努力に強く反対する一部の締約国の一つである。2004年6月、条約の一般運用状況常設委員会の共同議長が共通的理解を得るための提案書(ノン・ペーパーと呼ばれた)を提示した。このノン・ペーパーに対し日本は反対の意を表明した。条文の解釈を明確化するための提案は新しい規則と要件を作ることを意味し、その結果、これからオタワ条約への参加を目指す国々の意欲を阻害することになる、と日本は述べている。さらにまた、「現在の条文は長い交渉の結果に到達した微妙なバランスと妥協を反映している。従って、色々な条件に直面している多くの国が同じ法的枠組の中で共存するためには、ある程度の抽象的な表現は絶対に必要で、多国間の条約ではそれが普通である。」というものであった[3]

第1条 JCBLが外務省に対し、非締約国と締約国が共同軍事行動をとり、非締約国が地雷を使用すると仮定して、締約国日本がその共同軍事行動の相手だったら、どういう立場をとるか? と質問をしたのに対し、外務省は日本国憲法第9条により日本は領土の外に軍隊を配置することは出来ず、如何なる共同軍事行動にも参加できないと回答した[4]。 非締約国による対人地雷の通過の禁止については、日本で貯蔵されている米国の地雷は日本の管轄下にも管理下にもない。従って日本は米軍による地雷の輸送を妨げたり禁止する責任を持たないと回答した[5]

第2条 2003年2月7日の条約の一般運用状況常設委員会において日本は、高感度のフューズ(信管)、或いは処理防止装置をもつ対車両地雷はオタワ条約でなく、特定通常兵器使用禁止制限条約(以下 CCW)の交渉の中で取り扱うべきであるとの主張を繰り返した。また、同年5月の同常設委員会において、高感度の信管をもつ地雷についてオタワ条約の枠内で専門家部会を設けて検討する、という国際赤十字委員会の提案に日本は反対をした[6]。 1998年、衆議院商工委員会における対人地雷を禁止する国内法案の審議にあたり、政府は処理防止装置を持つ地雷はどのような地雷でも法律に違反すると考えられると答弁をした[7]

第3条 締約国間の討議において、条約3条の「開発及び訓練のために対人地雷を『絶対必要な最小限度の数』を保有できる」と言う表現の数値を、「数百個或いは数千個以下とし、数万個を超えてはならない」とする案に対し日本は保留の態度を示した。日本はそのように解釈することは、「オタワ条約への参加を真剣に検討しつつも、条約で課された目標を達成できないことを恐れている非締約国を疎外しかねない」と述べている[8]

日本はCCW改訂第2議定書の締約国であり、締約国年次会合のすべてに出席している。2003年7月10日にCCW本体条約の改定第1条を日本は批准している。その後、2003年10月、改定第2議定書第13条で定められた年次報告書を提出した。2003年11月には爆発性戦争残存物(ERW, Explosive Remnants of War)に関する第5議定書の採択を承認したが、批准はまだ行なっていない。また、対人地雷以外の地雷(MOTAPM,、Mines Other Than Anti-Personnel Mines )を制限する新しい提案を日本は支持している。さらに、爆発性戦争残存物による問題に対処する手段と方法を検討している政府専門家グループが継続して作業を行なうという提案を支持した[9]

 JCBLは約50のNGOの連合体で、日本政府のオタワ条約の遵守状況を積極的にモニタリングをおこなっている。日本の数々のNGOsは、講演会、セミナー、署名運動、スポーツ、出版、募金等、色々な行事を開催することにより地雷問題の深刻さを一般市民に知らせるに重要な役割を果たしてきた。JCBLは2003年、アジアの地雷被害をなくすため、アジア諸国の地雷廃絶キャンペーン団体の活動を活性化し、オタワ条約普遍化の活動を支援するためにマイン・フリー・アジア・イニシアティブ支援を開始した。2004年2月、JCBLは日本国内で活躍する新しいキャンペナーを養成するために2日間の第2回語り部講座を開催した。同2月、JCBL代表の北川泰弘は日本における地雷廃絶運動を指導してきた功績を認められて朝日新聞社の朝日社会福祉賞を受賞した[10]。 2003年7月、JCBLによる地雷問題およびJCBLの実績についての解説書であるブックレット「地雷と人間」が日本で評価の高い出版社、岩波書店から発行された。

 JCBLはこれまで、ランドマイン・モニター報告書の要約書、及び日本の章の日本語版を毎年発行してきた。(訳者註:日本の章の和訳は2003年版から)難民を助ける会は1998年から2003年9月までICBLのコーディネー-ション・コミッティーの委員という重要な役割を果たしていた。(訳注:会社で言えば重役で、長有紀枝がその重責を果たした。)

地雷の製造、移譲、貯蔵および使用

 日本は過去に63型、67型、80型、87型という4つの型の対人地雷を製造していた。87型はヘリコプターから敷設をする散布型(遠隔敷設型)対人地雷である。日本は1997年に対人地雷の製造を止め、1999年3月31日までに生産機能を停止した[11]。日本はこれまでに地雷を輸出したことはない。M3型対人地雷は米国から輸入されたものである。また、1954年に自衛隊が創設されて以来地雷を使用したことはない。

 日本は貯蔵地雷として1,000,089個の対人地雷を持っていた。985,089個の対人地雷の廃棄は2000年1月17日に開始され、2003年2月8日に完了した[12]。これらの貯蔵対人地雷の廃棄のために防衛庁は旭化成工業㈱、日本工機㈱、北海道日本油脂㈱の3社と委託契約を結んだ。廃棄のための契約総額は20億6800万円(1,780万ドル)であった。(訳注:地雷1個当りの廃棄費用は約2,000円であった。)

 条約第3条で保有が許可されている訓練及び研究目的の地雷を15,000個保有することを日本は決定した。これは締約国がその目的で保有した地雷数の中でも最も多い数の一つである。1999年から2003年の終わりにかけて、日本は6,641個の地雷を訓練及び研究目的で使用した。(1999年に1,148個、2000年に1,339個、2001年に1,290個、2002年に1,610個、2003年に1,254個)[13] 2003年12月末に8,359個の地雷を残している[14]。 政府はJCBLに対し、これらの地雷は安全な地雷探知と地雷除去を行なう訓練のために必要であり、同時に地雷の探知と除去を行なう機器の安全性を確かめる上でも必要であると説明している[15]

 

地雷対策援助

 2003年、日本は総額23億990万円(1894万米ドル)を地雷対策に拠出している[16]。これは2002年(55億3680万円、4971万米ドル)より58%の減少だが、日本は依然世界で2番目の支援国である。

 2003年の支援額の中で、65%にあたる14億9400万円が地雷除去プロジェクトへの支援である。また、32%(7億2000万円)がアフガニスタンとカンボジアにおける地雷探知および地雷除去技術の研究と開発への支援である。2002年には、日本はこのような技術の研究と開発への支援を行なっていなかった。そして、残りの4%(9600万円)は地雷回避教育への支援である。2003年、日本政府は地雷生存者支援への資金援助を行なっていない。

 これらの援助受け取り国は、アフガニスタン(59.8%)、カンボジア(16.8%)、アンゴラ(7.1%)、スリランカ(6.3%)、モザンビーク(3.6%)、タイ(3.4%)、ラオス(1.1%)、ニカラグア(0.8%)、クロアチア(0.4%)、ザンビア(0.4%)、レバノン(0.2%)、その他(0.1%)となっている。

第1表 2003年の日本政府の地雷対策援助プロジェクト(1月~12月)[17]

 国 名  
会計
被援助
   プロジェクトの内容         
 支援額
支援
 
年度
機関
 
百万円
千米ドル
形態
アフガニスタン
 
 
                 国の小計
1,381.2
11,321
 
 
 
H14
UNMAS
地雷除去支援
461.5
3,783
マルチ
 
H15
移行政権
地雷除去帰還開発研究計画
72.0
590
二国間
 
H15
OMAR
ア国東部における地雷除去計画
99.9
819
草の根
 
H15
ATC
カブール市及び周辺の地雷除去計画
99.9
819
草の根
 
H15
AINA
移動映画による地雷回避教育
1.9
15
草の根
 
H15
移行政権
地雷除去活動支援機材開発研究計画
646.0
5,295
二国間
アンゴラ
 
 
                 国の小計
164.9
1,351
 
 
 
H14
HALO
プラナルト地域地雷除去活動
85.7
702
草の根
 
H15
UNMAS
県レベル緊急地雷対策支援
79.2
649
マルチ
カンボジア
 
 
                 国の小計
389.0
3,188
 
 
 
H14
CMAC
除去加速の潅木除去機現地試験支援
7.8
64
草の根
 
H14
HALO
カ刻北西部人道的地雷除去支援その2
65.7
538
草の根
 
H14
JMAS
プレイベン州における不発弾処理
42.5
348
N無償
 
H15
CMAC
除去活動支援機材整備フォローアップ
1.7
14
二国間
 
H15
MAG
地雷重汚染地域除去機材供与計画
21.7
178
草の根
 
H15
MAG
人道的地雷除去活動支援計画
56.4
462
草の根
 
H15
CMAC
ポーサット州人道的除去活動支援計画
96.6
792
草の根
 
H15
CMAC
バ州人道的除去活動支援計画その2
96.6
792
草の根
クロアチア
H14
CROMAC
ダ・カ地域地雷対策活動支援計画
7.8
草の根
ラオス
H15
UNMAS
ラオス不発弾プログラム支援
24.4
200
マルチ
レバノン
H15
MAG
地雷探知犬による地雷除去
6.2
51
二国間
モザンビーク
 
 
                 国の小計
84.2
690
 
 
 
H14
HI
イニャンパネ州地雷除去支援計画
19.5
160
草の根
 
H14
HALO
ザンベジア州人道的地雷除去計画
64.7
530
草の根
ニカラグア
H14
UNMAS
地雷啓発
18.3
150
マルチ
スリランカ
 
 
                 国の小計
145.7
1,194
 
 
 
H14
MAG
ワンニ州の地雷除去活動
43.1
354
草の根
 
H14
HALO
ジャフナ州における地雷除去活動
43.2
354
草の根
 
H14
NPA
ワンニ州の地雷除去活動促進
56.6
464
草の根
 
H14
JICA
地雷対策センター設立の計画策定
2.8
23
N補助
タイ
H15
JAHDS
カンボジア国境地雷回避教育計画
77.7
637
N無償
ザンビア
H14
AAR
母国帰還前アンゴラ難民地雷回避教育
8.4
69
N無償
その他
 
 
 
2.1
17
 
 
 
H14
OAS
中米4ヶ国地雷対策全般
2.1
17
マルチ
 合    計
 
 
 
2,309.9
18,941
 
 








 支援内容
全:
地雷対策全般





除:
地雷除去






犠:
犠牲者支援





啓:
啓発活動






他:
その他





 支援形態
二国間 :二国間援助





マルチ :国際機関を通じての援助





N補助 :NGO事業補助金





草の根 :草の根無償資金協力





N無償 :日本のNGO支援無償資金協力




 会計年度について:H14は、日本政府が2003年1月~3月に援助の約束をしたプロジェクト
          H15は、2003年4月~12月に援助約束をしたプロジェクト


 2004年6月に開かれた地雷除去等常設委員会で、日本政府は、日本が「国連地雷対策支援に関する信託基金(VTF:UN Voluntary Trust Fund for Assistance in Mine Action)」への2番目の支援国であり、2004年6月の時点で2370万ドルを拠出していると発表した。同時に、総額14億1800万円(1230万ドル)を同基金に拠出することも発表した[19]。この内訳は、アフガニスタン(870万ドル)、カンボジア(113万8000ドル)、スリランカ(135万7000ドル)、タジキスタン(25万2000ドル)、モザンビーク(8万2000ドル)、スーダン(67万4000ドル)、OAS諸国(ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、コスタリカ)(1万7000ドル)、アンゴラ(8万1000ドル)、タイ(2万6000ドル)となっている[20]

 1997年12月の対人地雷全面禁止条約での調印式において、今後5年間(1998年~2002年)の間に100億円の支援を行なうことを日本は表明した。2002年の時点で、日本の援助額はこの目標を上回り、104億8400万円(9300万ドル)を拠出している。この5年(1999年~2003年)の合計は120億6100万円に上る。条約への署名前の1993年から1997年には、日本の支援は2800万ドル(訳注:2844.7万ドル、約30億円)であった[21]。1993年から2003年の日本の地雷対策への拠出の合計は1億4000万ドル(30億円+128億円=158億円)となる。

 日本が約束した5年100億円の支援の終了とともに、JCBLは政府に対し新たな5年計画へのコミットメントを求めた。しかし、2003年3月日本政府は長期的な地雷対策支援計画を作成しない意向であることを表明した。これは2004年6月にも繰り返し表明されている[22]

第2表 1998年から2003年までの地雷対策援助額[23]








1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
7億3300万円
19億400万円
15億円
8億90万円
55億3700万円
23億1000万円
(6,422千ドル)
(15,971千ドル)
12,888千ドル
7,615千ドル
49,709千ドル
18,941千ドル
第3表 1998年から2003年までの支援内容別の援助額[24]











 
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
合  計
地雷除去
4億 420万円
16億5910万円
11億6370万円
5億9690万円
35億5290万円
14億9400万円
88億7080万円
 
(3,620千ドル)
(13,910千ドル)
(10,033千ドル)
(5,627千ドル)
(31,644千ドル)
(12,254千ドル)
(77,089千ドル)
犠牲者支援
2億2010万円
1億9200万円
2億4790万円
7 ,920万円
18億3200万円
 
25億7120万円
 
(1,878千ドル)
(1,616千ドル)
(2,075千ドル)
( 741千ドル)
(16,793千ドル)
 
(23,103千ドル)
地雷回避と
9740万円
5,250万円
6,860万円
1億2570万円
1億5190万円
9,600万円
5億9210万円
啓発教育
( 826千ドル)
( 439千ドル)
( 589千ドル)
(1,176千ドル)
(1,272千ドル)
( 788千ドル)
(5,090千ドル)
探知・除去技術
,160万円
80万円
2,010万円
750万円
 
7億2000万円
7億6000万円
の研究開発
( 98千ドル)
( 6千ドル)
( 191千ドル)
( 71千ドル)
 
(5,899千ドル)
(6,265千ドル)
合   計
7億3330万円
19億 440万円
15億30万円
8億930万円
55億3680万円
23億1000万円
127億9410万円
 
(6,422千ドル)
(15,971千ドル)
(12,888千ドル)
(7,615千ドル)
(49,709千ドル)
(18,941千ドル)
(111,547千ドル)

研究と開発

 文部科学省(MEXT)は地雷探知のためのセンサー(感知器)の技術、地雷探知、除去のためにセンサーを装備した複数の足を持つロボットの技術、および遠隔からロボットを地雷のありそうな地点に近づける制御技術を開発するために、10の大学と2つの企業の研究計画に経済的支援を与えている[25]。 研究の成果は2003年6月25日および2004年6月10日に東京の早稲田大學の講堂で公表された。研究の目標は2002年に研究プロジェクトが開始されて3~5年以内に、開発された機器の現場試験が地雷埋設国で実施できるようにする、というものである。文部科学省の研究グループは2002年7月13日から18日までアフガニスタンで、地雷除去作業において必要とされるハイテク技術のニーズについての調査を行った[26]。 2002年から2003年までの補助金の額は4億円(340万ドル)と推定される。

 上記に加えて、経済産業省(METI)は6つの企業の総合地雷探知機(訳注:金属探知機と地中レーダーを組み合わせた探知機)、地雷探知車両、地雷除去機の研究開発に補助金を出している。2003年12月3日、防衛庁の協力により青森県の陸上自衛隊の演習地において、新たに開発された機器の公開現場テストが実施された[27]。 2004年4月、外務省の協力により、開発された幾つかの機器の現場テストが地雷埋設国(訳注:アフガニスタン)で実施された。経済産業省は、2005年3月までに研究開発が完了し、その1年後にそれらの技術が市場に登場すると期待している。 2002年、2003年、2004年の補助金の総額は7億円(600万ドル)と推定される[28]。 これらの文部科学省、経済産業省、外務省、防衛庁による研究開発計画は日本政府の内閣府によって調整されている[29]

NGOの生存者支援と地雷対策活動

 難民を助ける会(AAR Japan: Association for Aid and Relief, Japan)はアジアとアフリカでの生存者支援と地雷対策プログラムの支援を継続している。2003年10月よりアフガニスタンにおいて難民を助ける会は国連アフガニスタン地雷対策センターと協力して、地雷回避教育の教材開発を行なっている。これらブックレットやパンフレットなどの教材は教師やNGOスタッフ、コミュニティー・ボランティアなどにより使用されている。これまでも、難民を助ける会は地雷回避教育チーム3つをHALO Trustと共に運営してきている。また、2002年8月よりタカール州において地雷生存者を含む障害者のために、2つの理学療法センターを開設している。カンボジアでは、キエンクリエン職業訓練センターと車椅子工房を1993年より運営している。また、ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンにおいても1999年より、障害者を対象とした職業訓練センターを運営してきた。さらにラオスでは、JICAの支援を受けて、国立医療リハビリテーションセンターにおいて車椅子の生産プロジェクトを行なっている。2003年には、ザンビアのメヘバ難民定住地において、地雷の影響を受けている地域に帰還するアンゴラ難民に対して地雷回避教育を行なった。2001年に始まった難民を助ける会と(株)東京放送、(株)ワーナー・ミュージック・ジャパン、(株)日音による「地雷ゼロキャンペーン」では、カンボジア、グルジア、モザンビークで地雷除去活動を行なうHALO Trustへの資金援助も引き続き行なっている。また、2003年にはアンゴラで活動するMAGに対しても援助が行なわれた[30]

 カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC: Cambodia Mines-remove Campaign)はカンボジアでの地雷埋設地域の支援を行なっている。2003年には、CMCスタッフが3つの学校建設の管理を行い、地雷埋設地域であるバッタンバン州のクバルムース村での農業プロジェクトに関する評価を行なった。また、バッタンバンでのイタリアNGOが運営する救急病院に5000ドル、MAGに対して1万ドルの支援を行なっている。CMCは、学校での講演、レクチャー、写真展やチャリティー野球大会などのスポーツイベントを全国で開催して、資金の調達を行なっている[31]

 希みの会・HOPE(Humanitarian Orthotic/prosthetic Endeavour)は、タイ(2001年より)・カンボジア(1993年より)・ラオス(1998年より2002年まで)において障害者のための支援プログラムを援助している。タイでは、国立シリンドーン(Shrindhorn)医療・リハビリセンターと共同で、国立マヒドール大学に義肢・装具の学士コース(BS Degree)を開設した。同プログラムは2002年6月に開始され、12名の学生が所属している。また、タイでの義肢・装具の技術や知識を高めるためのトレーニングプログラムを支援しており、2つのプログラムが日本財団の資金援助を受けている。カンボジアでは、2003年6月まで義肢・装具の製造するために義肢装具士を派遣した。また、彼らはカンボジア人の訓練も行った[32]

 企業とチャリティー団体の連合体である人道目的の地雷除去支援の会(JAHDS)はカンボジア、タイ、コソボにおいてプロジェクトの支援を行なってきた。タイでは除去プロジェクトの立案、実施運営と調整を始めて行なった。また2002年12月より2004年1月まで、JAHDSはタイ地雷活動センター(TMAC)とチャ・チャイ財団とともに地雷除去プロジェクトを実施した。このプロジェクトではサケオ県のクメール遺跡・サドック・コックトム寺院敷地内の合計40万7472平方メートルが除去された。このプロジェクトの総予算139万3088ドルのうち、日本政府が46%、JAHDSが30%を負担した。2004年9月、サドック・コックトム寺院内除去プロジェクトはバンコクで開かれた第5回締約国会議参加者が視察するデモンスレーション・サイトに選ばれた[33]

 2002年に元自衛隊員を主体で構成された日本地雷処理を支援する会(JMAS: Japan Mine Action Service)が設立され、カンボジアでCMACとともに除去を行なっている。2003年4月から2004年2月の間に、JMASの2つの除去チームは10103個の不発弾等、37個の地雷を含め処理した。JMASは2004年6月から6個チームを保有し活動開始以来総計 320発の地雷を含め 29,303発の不発弾を処理した[34]。(2004年9月30日現在)

2003年、日本赤十字社はカンボジア、バッタンバンの赤十字国際委員会(ICRC: International Committee of the Red Cross)の身体障害者リハビリセンターに対して1千万円(8万6000ドル)の援助を行なった[35]。日本赤十字社はこのセンターを継続的に支援してきている。日本赤十字社は授業で地雷問題を取り扱うよう働きかけているほか、全国235万人の青少年赤十字メンバーに対しセミナーなどでこの問題を取り上げ、活動を行っている。

1999年に設立された地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC: Kumamoto Landmine Clearance Campaign)は少なくとも年間2つのイベントを開催してきた。2003年のKLCCの活動は、カンボジアへのスタディーツアー、カンボジアの民族舞踊の上演、「ノウ・モア・ランドマイン・デイ」イベント、チャリティーラン&ウォークなどである。また、1万ドルをカンボジア・トラストに、1万ドルをコンサーン・ワールドワイド・カンボジア(Concern Worldwide Cambodia)に、5000ドルをカンボジアのヘイロー・トラスト(HALO Trust)に資金の援助を行なっている。また、地雷生存者によって運営される私立学校に対しても資金援助を行なっている[36]

横浜YMCA対人地雷をなくす会(ALF: Anti-personnel Land Mine Forum)はカンボジアとアフガニスタンでの人道支援に資金援助を行なっている。2003年には、5回目のチャリティーコンサートを開き、地雷に関するワークショップや写真展も開催している[37]

2003年JCBLは、タイ・ビルマ国境で地雷回避教育を行なうNonviolence International Southeast Asiaに対して56万1837円(4800ドル)を支援した。また、同様に地雷問題の調査を支援するため、Nonviolence International Bangladeshに5000ドルの資金援助を行なった。JCBLは、アフガニスタンで女性・子供への地雷回避教育プロジェクトを実施するOMAR(Organization for Mine Clearance and Afghan Rehabilitation)にも支援を行なっている。

1997年よりムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト(MJOLP: Mulindi Japan One Love Project)は、義肢製作所をルワンダのキガリで運営してきた。2003年8月、MJOLPの移動サービスチームが同国の12の地域すべてを巡回し診療を行なった。また、身障者のスポーツ支援にも力を注ぎ、2004年のアテネパラリンピックのために選手への支援を行なった[38]

参考:日本の主な地雷関連NGOのホームページ。

AAR Japan
難民を助ける会
ALF
横浜YMCA対人地雷をなくす会
Angel
天使になりたい
Cba
中部地雷問題支援ネットワーク
www2.odn.ne.jp/~cba31680/
CMC
カンボジア地雷撤去キャンペーン
JAHDS
人道目的の地雷除去支援の会
 
地雷を踏んだら さようなら
 
地雷ゼロ宮崎
www.spin.ne.jp/~mlc-zero/
JCBL
地雷廃絶日本キャンペーン
JDA
日本地雷処理機構
JMAS
日本地雷処理を支援する会
JRCS
日本赤十字社
KLCC
地雷廃絶と
地雷被害者支援の会・熊本
MJOLP
ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
Terra R.
テラ・ルネッサンス

日本人の地雷被害者

 1997年以降、地雷または爆発性戦争残存物による日本人の被害者は報告されていない[39]

翻訳:JCBL:北川泰弘、林明仁

Translation by: Yasuhiro Kitagawa, Akihito Hayashi, JCBL


[1] Landmine Monitor Report 1999, p.357、P359 - 360
(訳註)オタワ条約は「使用」を禁止しているが、この法律には「使用」の禁止が書かれていない。日本には既に「爆発物取締罰則」(明治17年太政官布告第32号)という使用、製造、輸入、所持を取り締まる刑罰法規があるというのが理由である。
[2] これまでの第7条報告の提出実積:2003年4月28日(2002年1~12月)、2002年4月24日(2001年1~12月)、2001年6月21日(2000年1~12月)2000年4月28日(1999年4~12月)、1999年8月27日(1999年3月1日~31日)
[3] 2004年6月25日、ジュネーブ、条約の一般運用状況常設委員会における日本政府軍縮代表部美根芳樹大使の発言。
[4] 2003年5月8日 外務省からの回答
[5] 2001年9月20日 外務大臣の代理として、軍備管理・軍縮課からJCBLへの文書回答
[6] ランドマイン・モニター報告書2003年版P.302参照
[7] 1998年9月25日 商工委員会議事録第六号P.7 通商産業省機械情報産業局長広瀬勝貞氏の答弁。ランドマイン・モニター報告書1999年版P.360 参照。
(訳注)広瀬は「混合地雷というものがあり、ワイヤーで対戦車地雷と結び付けられ、ワイヤーで作動するので禁止対象」と述べた。
[8] 2004年6月25日 条約の一般運用状況常設委員会における日本の発言
[9] 2003年11月27日、ジュネーブ CCW締約国会議 猪口邦子大使の発言
[10] 2004年1月4日 朝日新聞
[11] 1999年8月27日 条約第7条報告 様式E
[12] 貯蔵地雷の廃棄の詳細についてはランドマイン・モニター報告書2003年版のP.303
[13] 2004年5月19日付け 防衛庁艦船武器課より」JCBLへの文書回答、2004年4月27日付け条約第7条報告 様式F
[14] 8,359個の内訳:63型1,649個、67型1,674個、80型1,686個、87A型539個、87B型525個、87C型614個、1,672個M3型
[15] 2001年9月20日 外務省の回答
[16] 国連のMAI(Mine Action Investments)データ・ベースの「Annual Donor Report for Japan」、および外務省国際社会協力部人道支援室からの2004年2月24日付けの回答文書,
[17] 同上
[18] 2004年8月9日の人道支援室の電話回答:このプロジェクトに2002年の交換レート、1ドル=122円が適用されているのは、何か特別の理由があったと思われる。
[19] 2004年6月22日、ジュネーブ、地雷除去等常設委員会における日本代表の発言。円ドル換算はJCBLの推定換算率で行った。
[20] 同上
[21] MAIデータ・ベース
[22] 2004年6月22日、地雷除去等常設委員会における日本代表の発言。2003年3月28日、プノンペンにおける「将来の東南アジア地雷対策の共同構築」セミナーにおける日本軍縮代表部高橋亮武官の発言。セミナーの開催前に、JCBLは小泉首相あてに書簡を送り、2003年9月の第5回締約国会議で次の5年間に向けて新しい援助額を示すよう要請していた。
[23] 2004年8月9日の人道支援室の文書回答:円ドル換算率は日本政府によって会計年度ごとに固定されている。1米ドルは、平成10年(1998年)は118円、平成11年(1999年)は120円、平成12年(2000年)は105円、平成13年(2001年)は107円、平成14年(2002年)は122円、平成15年(2003年)は122円、平成16年(2004年)は110円、平成17年(2005年)は109円である。
[24] 同上
[25](独)科学技術振興機構(JST)のホームページより。JSTは文部科学省の実施機関。
[26] 2003年4月15日 文部科学省からJCBLへの文書回答
[27] 2003年3月5日 東京地雷セミナーにおける経済産業省松村武人局長の発表
[28] 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のホームページ。NEDOは経済産業省の実施機関。
[29] 2004年6月10日 早稲田大学におけるJSTの配布資料
[30] 2004年4月6日、難民を助ける会、堀江良彰氏よりのEメール
[31] 2004年4月6日、CMC代表の大谷賢二氏よりのEメール
[32] 2004年4月2日、HOPE代表田澤英二氏よりのEメール
[33] 2004年4月13日、JAHDS今鉾大介氏よりのEメール
[34] 2004年4月1日、JMAS理事長土井義尚氏よりのEメール
[35] 2004年3月26日、日本赤十字社国際部原澤亜希子氏からのメール
[36] 2004年4月6日、KLCC代表最相博子氏よりのEメール
[37] 2004年3月19日、横浜ALF代表、岡戸良子氏よりのEメール
[38] MJOLPの会報26号(2003年9月)および会報27号(2004年3月)より
[39] (訳注)第2次世界大戦以降、民間人の日本人地雷被害者は元朝日新聞社編集委員の百瀬和元氏とフリーカメラマンの南条直子氏の2人である。百瀬氏は1983年8月イラン・イラク戦争の取材中、同行の記者が踏んだ対人地雷により左肩に重傷を負った。南条氏は1988年アフガニスタンを取材中、対人地雷に触れて亡くなった。(足立研幾著「オタワプロセス」P.94 。百瀬氏の被災年月はご本人よりのメール)